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松川事件と諏訪メモ~毎日新聞倉嶋記者と福島地検宮本検事正
「冤罪の構図 松川事件「諏訪メモ」倉嶋康・毎日新聞記者の回顧から」という出版物を頂きました。
倉嶋康さんは,毎日新聞の記者として,松川事件を全面無罪に導くきっかけとなった「諏訪メモ」という証拠をスクープした 著名な新聞記者です。
私は,あるご縁があって倉嶋さんと知り合いでもあります。
松川事件は,1949年8月に福島県で発生した列車の脱線転覆事件です。複数の死者が出ました。
線路が人為的に加工されており,何者かによる犯罪であることは間違いありませんが,捜査当局は,当時勢いを増していた労働組合員による犯行だと決めつけ,20人が検挙され,1審,2審までの裁判では4人が死刑,2人が無期懲役,その他有期懲役となった大事件でした。
当初から,冤罪の疑いが濃厚であると指摘され、被告人,弁護人も徹底抗戦しましたが,死刑を含む有罪判決は覆らず,最高裁に舞台がうつりました。
その当時,福島で司法記者として活躍していた若き倉嶋記者は,ひょんなことから「諏訪メモ」という被告人の無実を証明する重要証拠の存在を知ります。
諏訪メモは,被告人らの一部がとある場所で団体交渉を行っていた際の会社側の担当者(諏訪さん)のメモで,そのメモの記載からすると,有罪判決の根拠となった犯行の共同謀議の日時と矛盾することになる,超重要証拠でした。
熱心,大胆な取材の末,倉嶋記者は,諏訪メモが福島地検に存在するらしいことをつかみ,単身福島地検の検事正室に乗り込みます(検事正とは,地方検察庁のトップです。)。
当時の検事正は宮本検事正という方でしたが,宮本検事正は諏訪メモの存在の可能性を報道で知り,部下に調査させていたそうです。そして,倉嶋記者からの質問に,諏訪メモの存在を正面から認めたのでした。
倉嶋記者は,「「諏訪メモ」発見さる」というスクープ記事を書き,毎日新聞に大きく掲載されました。これにより,検察側も諏訪メモの存在を否定しきれなくなり,最高裁による破棄差戻判決,仙台高裁による全面無罪判決を導くことになりました。
死刑宣告をされた無実の被告人からすれば,まさに「死刑台からの生還」でした。
倉嶋記者は,記事を書いた時点では,検事正の言葉を裏付けとしており,実際には諏訪メモは見せてもらえなかったそうです。
現物を見ていないのに,大々的に書くことには,新聞記者としてかなり勇気の要ることだったと思います。
万が一誤報であれば,自分の記者生命にも影響し,毎日新聞の受けるダメージもはかりしれません。ジャーナリスト魂が世紀のスクープを書かせたということでしょう。
倉嶋記者には,宮本検事正の心の声が聞こえてくるような気がしたという趣旨の記載があります。
その心の声とは
「諏訪メモを消滅させることは可能だった。しかし,私にはできなかった。最高検から指示が出る前に一刻も早く世に出せば,破却は不可能となる。私は君(倉嶋記者)に感謝している。権力をはねのけてどこまでも追及してくれる君を信じて,諏訪メモの存在を認めたのだ。」
というものでした。
検察庁の組織人としての検事正宮本氏と,真実の追及を使命とする一検事としての宮本氏は,ぎりぎりのところで,後者を優先し,諏訪メモの存在をあえて認め,倉嶋記者にスクープさせることで,上級庁からの介入(証拠の隠匿,破棄)を防いだのでした。